武藤株式会社の沿革

創業一百年
一世紀という時を経た、当社の歩みをご覧ください


時代/年月できごと
安土桃山時代以前美濃国(現岐阜県)下級士族として、後の織田家の臣従 武藤舜秀(敦賀領主)が祖と伝わる
※舜秀没後の歴史的背景に照らせば特定の期間に中邑(村)姓を使用したことが有力
江戸時代初期相国大磯に移住
寛政年間本家当主 忠兵衛は、相国大磯の屋敷内の一部を旅籠とした。後に旅館として「中邑(村)屋(明治期以降は中村屋)」を創業
享和2(1802)年武藤本家創業の年と定める(確認できる最も古い記録)
文政11年治郎兵衛が当主となる
天保4年定智が当主となる
安政3年政吉が当主となる
明治34年作蔵が当主となる
※作蔵は、旅籠(旅館業)だけでなく、廻船問屋として米、酒類などの食糧や工芸品を各地名産から物資を輸送して卸売や売買をしていた。また、網元、温泉を掘削(失敗)、不動産の所有、山林の開墾するなど多岐に渡る事業を営んでいた。
※山林の開墾では、大磯地区の明治期古地図には山王町井戸窪[現在の湘南平付近]に「武藤梅林園」の記載があった。昭和50年頃に武藤家・当家の菩提寺に寄進(記念碑に一個人名が刻まれているが武藤家一族の総意による寄進である。)
明治35年8月16日当家創業者 武藤三郎が作蔵の次男(3番目の子)として生まれる
大正2年作蔵の命により、三郎は東京日本橋の老舗漆器店に奉公する
大正12(1923)年
10月30日
当家(日本橋武藤家)が創業
関東大震災によって奉公先の老舗漆器店が全焼した。その為、三郎は同僚の西岡氏と共に、日本橋茅場町で漆器卸売販売店を創業する。※焼失した老舗漆器店から日本橋白木屋(旧東急百貨店日本橋店 現コレド日本橋)と日本橋三越を引き継いで取引をしていた。この頃は、薬卸売商屋敷の間口一軒ほどを借りて商売を始めた。屋号は不明であるが、看板に「漆屋」と表示していたと伝わる。
昭和2(1927)年
11月1日
事業分割。漆器卸問屋の事業が軌道に乗ったこともあり、三郎と西岡氏は各々で事業を分割して運営することになった。
※三郎は、武藤本家の東京店として、日本橋・小舟河堀を築地した日本橋小舟町(現日本橋本社別館:小舟町ビル)に移転し、「漆器問屋 武藤三郎商店」に分社独立して日本橋白木屋との取引を継承した。西岡氏は日本橋人形町に移転し、「西岡漆器店」に分社独立して日本橋三越との取引を継承した。
昭和6年現在の本社所在地である日本橋本町に木造五層建て(階中間層を含む)社屋が完成
当時は百貨店の漆器卸売問屋の専業であった。
昭和16年10月30日株式会社武藤商店に改組(設立)
昭和24年9月日本橋本壱会町会長に三郎が就任。他に数多くの理事に就任
昭和26年12月 5代目本家当主 作蔵の死去によって、作蔵の末子が屋敷等を相続したが、大磯の武藤本家は事実上消滅した。
※次男の三郎は、作蔵の子である分家が設立した全ての会社に対し、設立資金を無担保かつ返済期限なしで融通したほか、弟たちの生活費など一切の面倒を引き受けた。その中には三郎の弟の与四郎が創業した東証一部上場企業がある。本家は消滅したが三郎が事実上の6代目本家当主の役割を担った。
昭和30年代頃宮内庁より、書庫保管用の文箱(数百余個)の塗り直し修理を拝命
昭和39年8月日本橋本社別館「小舟町ビル(日本橋小舟町)」落成
昭和40年代頃大丸東京店及び大丸系列量販店に漆器以外としてガラス器、陶磁器の取扱いを開始
昭和50年10月日本橋本社本館「武藤ビル(日本橋本町)」落成
昭和51年4月16日武藤三郎の死去により、武藤 肇が代表取締役に選任
昭和60年頃量販店・専門店事業部として東京・江東区に営業所を開設。陶器の取扱いを開始
平成2年8月創業以来最高の売上高と営業外収入で計30億円超を計上
平成12年11月武藤肇は、長年に渡り産地の職人等を受入れ漆器産地問屋・職人の育成をしてきた功労が認められ、(社)日本漆工協会より「漆工功労賞(年間最高位)」を受賞
平成15年5月18日肇の死去により、聖子が代表取締役に選任
平成16年9月1日武藤株式会社へ社名変更
平成16年11月1日当家4代目(内実的に本家9代目)武藤 豊が代表取締役に選任
平成19年7月百貨店部門と量販・専門店部門の営業所と倉庫を統合
平成20年10月イーアスつくばショッピングセンターに漆器を中心にカジュアルな器と雑貨の専門店「吉日家福笑門」を開店(令和元年に「日本橋SAKON」へ店舗名変更)
平成26年3月イーアスつくばショッピングセンター1階に和器・雑貨の専門店「吉日家福笑門」を約34.44坪に拡張してリニューアルオープン(現「日本橋SAKON」)
平成28年10月24日夢東物流センター(略称:MBC倉庫)開設
平成30年5月18日創業百年記念事業として、日本橋本社を大規模リノベーション修繕工事の実施。また、「器 日本橋夢東 本店」「日本橋左近 本店」の店舗を日本橋本社1階に開設
ビル名称を「日本橋むとうビル」から「日本橋滄浪閣ビル」に変更
令和2年10月㈱食空間デザインを設立。当初の事業目的は、製造・デザイン事業であったが、コロナ禍により、事業目的を変更し営業・販売・企画開発・サービスとする為に株式会社日本橋夢東に社名変更した。武藤株式会社は、在庫管理、人事管理、不動産管理、新規事業などに専念する。将来の事業承継に備える。
令和6年4月レンタルスペース事業を本格始動。地下1階に「GALLERY 日本橋滄浪閣」のスペースエリアを開設
令和7年5月8日漆器・陶磁器・ガラス器・他取扱い工芸品 定番外在庫処分品・わけあり品の販売店『Inventory Clearance Shop(小売・卸売版のOUTLET) 日本橋SAKON 日本橋小舟町店』を開店(昭和2年会社分社後の創業の地に店舗として復活)